学校がいじめの事実を認めるのは容易ではない

社会

いじめには、文部科学省が定めた定義がある。昭和61年度からの定義は、

「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。

であったが、平成25年度からは、

「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。

となっており、「攻撃」や「継続的」という文言も無くなっている。簡単に言えば、被害生徒が苦痛を感じたらそれはいじめだということになる。

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/06/26/1400030_003.pdf

ということは、いじめ報道においても、本人が苦痛を感じていれば当然いじめがあったということになる。

では、なぜ学校はいじめを認めることが難しいのであろうか。このことは、学校に限らず第三者委員会委員会でも同様である。

いじめがあったということは、加害者がいるということになる。当然この加害者は同じ学校の生徒であることが多いが、この加害者の存在を認めることがきるのかということである。名前は公表せずとも、同じ学校の生徒はそれが誰であるか分かる可能性が高いし、それがインターネット上に流布される可能性もある(誤った情報であったとしても)。

学校や第三者委員会にそのようなことができるかということなのである。

子どもに対する調査についても、多くがショックを受けていて心理的ケアも必要な状況ではアンケートの実施は難しいだろう。また、個別の生徒に聞き取り調査をしたときに「犯人扱いされた」といった訴えや、それによって登校できなくなる可能性を考えると慎重にならざるを得ない。もちろん第三者委員会も同様である。

マスコミには、安易な批判だけでなくそのような状況も踏まえて問題提起をしてほしい。

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